533はうつから復帰したい

2017年春、新社会人として半年頑張ったら、頑張りすぎて心が壊れてしまった女の独り言。

無償の愛は存在するけどすれ違う。たくさん愛した両親、本当に愛されたかった私

なんで承認欲求の塊に成り果てたのか

あえて謙遜しないで書くと、小さい頃はなんでもできました。
俗に言う神童。

褒められることが一番嬉しくて、生きがいだった。

先生や友達、周囲にたくさん人はいたけれど、
厳しい両親に褒められるのが一番嬉しかった。

仕事が忙しく、あまり喋る方ではない父と
教育熱心で、幼い妹を抱えて家事をこなす母に
褒められることがなによりも幸せで。

その幸せを掴み取るために毎日必死でした。

物心ついた時にはそんな生活を送っていて。
お父さんは仕事で忙しくて平日は姿を見ることもあまりなかったし
お母さんは幼い妹につきっきり。

自然と家ではひとりぼっちになった。長子の宿命でもありますね。

その頃から、心のどこかで、「寂しい」という気持ちが芽生え始めたんだと思います。

もしかして私は愛されていないんじゃ?

たくさんの習い事やお稽古をこなしながら、
お母さんに言われた通りに一人で身の回りの準備をこなして、
構って欲しい気持ちを押さえ込んで
いいお姉ちゃん」に徹していた私。

両親はどんなに忙しくても、私が何か結果を残したときは
向き合って褒めてくれました。

今思えば、それは忙しい両親からの愛情だった。

でも、小さい私はこう感じたんです。
結果を残さない私は両親に愛されない」と。

お父さんもお母さんも、「できる私が好き」なんだと。
今習い事を全部やめて勉強もできなくなって、いわゆる「ダメな子」になったら
きっと捨てられてしまう。
私そのものではなくて、私の色々できるところを愛しているんだ・・・

親の無償の愛なんて存在しない。
自分一人だけで生きていけるようになってやる。

屈折した心を抱えたまま、私は成長していきました。
承認欲求が満たされた時だけ、自己肯定ができる
「高いプライドを持った、自己否定ばかりする大人」へと。

こんなんじゃダメだ、もっと努力しないと

社会人の頃、1日何度こう思っていたことでしょうか。

頑張ることは悪いことじゃないし、
社会人、特に新入社員にとっては重要なことです。

「もっと頑張らないと」という気持ちは、
自分を励ましたり、奮い立たせる時にはいい効力を持つと思う。

でも私の場合は、恐怖でした。

もっと頑張らないと私が私でなくなってしまう。
できない私は私じゃない。
できない私は無償の愛をくれるはずの両親にすら愛されない、
できない私は幸せになれない。

真綿はじわりじわりと私の首を締めていきました。

無償の愛のすれ違いが生んだ承認欲求

お母さんもお父さんも悪くない。私だって悪くない。
私が承認欲求にまみれてしまったのは、仕方のないことだった。

だからこそ、誰かのせいにできないから、苦しい。

なんで私がこんなに苦しい思いをしなければいけないの?
そう思う気持ちもたしかにある。

でも、そう思ってても先には進めない。
存在しない何かを呪っていても、私が幸せになれるわけじゃない。

だから、私は呪うのをやめました。
今の苦しみは、将来の幸せの糧になると信じて、前に進みます。
焦らず、ゆっくりと。


こみみ

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